「母(かあ)べえ」が呼び覚ました信頼と家族のきずな
記者 行琴
台湾の父親の日にあたる8月8日、予定通り日本映画の巨匠―山田洋次の「母べえ」が上映された。この映画は太平洋戦争勃発後の東京を舞台とし、夫の思いもかけない投獄に遭いながらも、女手ひとつで子を守り、戦乱の時代をたくましく生き抜いた、そんな普通の家庭の大変感動的な真実の物語を描き出している。この映画で山田洋次と吉永小百合は、1974年の「男はつらいよー寅次郎恋やつれ」以来34年ぶりにタッグをくんだ。1940年の東京、野上家は父、母、娘初子と照美の大変仲むつまじい4人家族であった。父、野上滋は平和を愛する文学家。当時、戦争に反対するだけで、国家を批判したという罪で投獄され、父親もこのために治安維持法違反で検挙、ある朝突然逮捕され、生活が一変することとなる。
不安定な生活を送る母親と娘の元を訪ねてくる親切な人々が絶えることはなかった。父親と接見できるよう奔走してくれた、出版社に勤める、父親の教え子山崎。最後には「小山」の愛称で家族の一員として迎えられることになる。父親の妹久子は青春真っ盛りの初子やわがままな照美の姉代わりとなり、その親切開放的で豪快な性格でしょっちゅう騒動を起こした。また、風変わりな叔父仙吉は包み隠さない、開けっ広げな性格の持ち主のため、何度となく騒動を引き起こし、また巻き込まれることとなる。
壁で隔てられた家族をつなぐ唯一のものは手紙であった。初子と照美はまるで日記をつけるかのように、毎日の出来事を父親に知らせ、それをともに分かち合った。また、母の心の支えとなったもの、それは娘の成長を見守ることだった。こんな中、ある日野上家にまったく思いもかけぬ知らせが舞い込むこととなる。
物語は主に、不安定な政局の動乱の時代において、人々は将来に希望を見出せず一抹の不安を感じている状況を描き出している。しかしながら、人間関係は濃厚で、いたるところ、信頼と家族のきずなに満ち溢れていた。近所づきあいも頻繁で、互いの目が届く距離にいて、血のつながりがなくとも、いつも気遣い、お互い助け合っていた。思わず観客は「苦しく困難なときに信ずべきもの、守るべきものは何なのか?」と感慨にふけるであろう。
現在76歳の山田洋次監督は、長年の間、家庭(家族のきずな)をテーマとし、各時代を異なる角度から描き出してきた。「男はつらいよ」、「幸福の黄色いハンカチ」等で、山田洋次監督は中国の年配映画ファンの間で、名の知れた存在となった。このたび、時代の流れに乗るようにして、山田監督は再び「家庭」の物語を取り上げた。彼は「あの苦しい時代、家族はみな肩、ひざを寄せ合って一緒にご飯を食べたものだ。今ではこんな光景はまったく見られなくなってしまった。おそらく、あの時代を経験した人が映画の中でそのシーンを見たら、懐かしさの中に喜びを感じるはずであろう。」と述べている。
この映画は人に感動を与えるとともに、今一度「家庭とはいったい何か?どう向き合うべきなのか?」という問題をわれわれに提起してくれる。日本で人間関係における真の信頼や家族のきずなが失われたのみならず、中国人はこの種のさらに大きな危機に面しているといえよう。特に困難と激動の中で、家族の理解と愛情は、不幸な目に遭った者に豊かな心を保ち、楽観的に生きていくためのとてつもない力を与えてくれるものだ。また、家族への献身的な愛情は、人が長い暗闇を抜け出すための明かりにもなるだろう。
今年初めに行われた第32回香港国際映画祭で、山田洋次監督の「母べえ」はオープン作品として招かれ、上映された。また、第58回ベルリン国際映画祭では唯一の日本語映画であった。
「母べえ」は黒澤映画の記録係であった野上照代の著書「父へのレクイエム」を改編して製作されたもので、その著において彼女は自身の少女時代の体験を自伝形式で描き出している。

神洲映画製作所 http://www.shenzhoufilm.com/sz/jp/2008/08/16/a100019.html 2008-8-16 22:23


