「ハンコック」を鑑賞して
作者:夢見草

映画「ハンコック」ポスター
映画「ハンコック」-中国語タイトル:全民超人。これを見たとき、いろいろな考えが脳裏を駆け巡った。全民超人、誰しもがスーパーマンになれるとでもいうのか?
本作品の題材は斬新で、しかもストーリーも予想外の展開を繰り広げる。まず初めは犯人が警察に追われているのをメディアが報道している場面。ストーリーの構成として、これは巧妙でなかなかうまくいっている。観客は座席についたとたんに、興奮の渦に包まれるのだ。そして、緊迫感に満ちた音響や照明の効果で観客をはらはらどきどきさせ、その心をわしづかみにする。スクリーンの前の彼らは、たちまちストーリーの中へと引き込まれるのだ。数多くの著名なSF映画やアニメでもこの種の構成は採用されている。
レンズは一転して、静かな路上を映し出す。そこで、ある子供が道端で寝ているホームレスに話しかける。「早く悪人を捕まえてよ。」と。しかし、眠りを邪魔されたホームレスは子供を相手にしようとしない。逆に子供を追い払おうとする。このとき、一般の観客は、こう考えるだろう。このホームレスは普段この子にたくさんのスーパーマンや英雄の話を聞かせてあげている。だから、この子は彼こそ本物のスーパーマンだと思い込み、悪人を捕まえるようせきたてているのだ、と。
この子が去った後、彼は空高く舞い上がる。バックミュージックは軽快な音楽。しかしながら、彼が空飛ぶ姿はなんとも様にならないのである。手には酒のボトル、そして空飛びながらも鳥や大型飛行機をよけなければならない。これはわれわれのイメージするスーパーマンや英雄からは、はるかにかけ離れている。
そう、これこそが斬新さのゆえんなのだ。われわれのイメージするスーパーマンや英雄というのは、登場したとたんに人々から愛され、尊敬され敬われる。しかも悪人を退治する手助けもするのである。しかし、彼らは生まれながらにして愛され、尊敬されるのか?そうではないだろう。では、その超能力ゆえに尊敬されるのか?いいや、違うだろう。ならば、悪人を退治してくれるから尊敬されるのか?それも違うだろう。この映画で語っているのは、まさになぜ彼らスーパーマンや英雄が尊敬されるのか、ということなのだ。
本作の主人公ハンコックには超能力はあっても、やることなすこと常識はずれ。犯人をやっつけても、あらゆる市民の反感を買ってしまう。ひいては捕まえられ、牢獄に入れられた末に、町から追い出されてしまう。なぜなら、あまりにも多くの人に迷惑をかけたためだ。たとえば、犯人を捕まえるため、あまたの個人、あるいは公共の建物を破壊し、かえって被害が大きくなった。さらには彼が舞い上がったり舞い降りたりするせいで、道路や周りの建物が壊されてしまった。しかも人へのやさしさもかけていたのだ。
ハンコックはあるときイメージ作りのプロを救い出す。彼はその恩返しのために、新たにハンコックのすばらしい英雄のイメージを市民に植え付けようと決意する。そして、そのイメージ戦略を打ち出した。まず初めに、テレビで市民に対し誠心誠意謝罪をする。また、必ず欠点は改めると約束をし、刑務所で服役することにする。かつて犯した公共物破壊罪を償うために。さらに人には優しくし、必要に応じて褒めたり、励ましたりもする。そのほか、多くの点にも注意を払う、などなど。ハンコックは最初あまり乗り気ではなかったが、言われるがまますべてやっていくと、最後には市民からの信頼を勝ち取ったのだ。誰からも好かれ、敬われ、尊敬される存在にもなった。
そう、能力があるから、本当の意味で尊敬される、というわけではないのだ。本作のハンコックが超能力を持ち、人助けをしても、誰からも好かれなかったように。謙虚な気持ちや思いやりがあってこそ、初めて人の能力と特技が大いなる尊敬を受けるのである。
中国の古人はかつて「大きな志を抱き、細やかな気配りも忘れるな。」と言ったものだ。しかし現代人は細かい事など気にしないほうが品格を下げない、かえってそれが自分の特徴や強い個性になると捉えている。しかし決してそうではない。新聞紙上をにぎわせるあまたの暴力やリンチ、殺人事件。多くはどれも憎しみやささいな問題で、わずかな気配りが欠けたために起こったのだ。実は細やかな気配りは大志を抱くのと同様に大切である。世の賢者はその点をわきまえているので、完璧なイメージ像を作り上げ、最終的に真に品格を備えた者として認められるのだ。
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神洲映画製作所 http://www.shenzhoufilm.com/sz/jp/2008/10/03/a100032.html 2008-10-3 22:22


